2018年8月19日 小田原城 (2018-11-08)

2018年8月19日小田原城

 夏の家族旅行のついでに、小田原城に来ました。ついではいけないとも思いますが、息子以外の家族、女房・娘・他の方は残念ながらお城には興味がありません。今は歴女が闊歩している世の中なのになかなか一緒に城めぐりしてくれるお友達はいません。

お城への興味で思うことは、ある程度歴史がわかっていないとお城へ登城しても面白くありません。多少の知識があると、興味があることについてはそれが積みあがっていきます。お城に登城するのも知識が積みあがっていくのが面白いと思います。

さあ、小田原城と言えばなんでしょうか。

やはり、後北条5代の本拠地がまず思い浮かぶでしょう。戦国時代の関東の覇者になるのですが、何よりこの小田原城は、戦国の大スター:上杉謙信、武田信玄に攻撃を受けて撃退した歴史を持っています。残念ながら、秀吉に後北条家は滅ぼされてしまいますが、20万人以上と言われる軍勢に囲まれている光景・・・。もしも、タイムマシンがあって何が見たいかと言えば、この小田原城の籠城戦観たいと思いませんか?

相模湾には、遠く九州勢或いは四国勢の長曾我部等が船を浮かべています。攻め込む、秀吉勢は徳川家康、前田利家、等オールスターです。旗印を見てあそこの陣には誰がいると見てみたいと思います。まあ、実際に当事者ではないのでそう言っているだけで、合戦というのは殺し合いですから、タイムマシンでいったら正視できないかもしれません。

結局、最終的には家康の天下になり、小田原は大久保忠隣に預けられます。小田原は江戸の喉元なのでよほど信頼を寄せる家臣が城主になる城でしたが、何故か大久保忠隣は改易になってしまします。大久保長安の事件に連座したと言われていますが、彦根藩預かりになってそこで没していますが、子孫はご赦免になり、再び小田原城主に返り咲いています。江戸時代でも珍しい出来事かと思います。

三河大久保一族は、まだ家康が三河統一戦を戦っているときに、よく出てきます。有名なのは大久保忠世、忠佐の兄弟です。常に家康の手足となって合戦で手柄を立てています。しかし、徳川四天王と言われた、酒井忠次、本田忠勝、榊原康政、井伊直政の4人には差をつけられていたようです。

それに大久保忠隣の改易です。ですから、三河物語を著わした大久保彦左衛門の嘆きはそこにあったのだと思います。でも、大久保彦左衛門は嘆いて三河物語を著わしたことにより、四天王より有名になり後世に名を残しました。一心太助と大久保彦左衛門のお話はみんなが知っています。何が後世に名を残すかわかりませんね。

今回の小田原城に来て初めての発見は大正天皇の御用邸があったということです。残念ながら関東大震災で大破してしまいましたが、やはり小田原は江戸・東京の喉元だなと思いました。

お城へ登城するのは面白いです。