2019年1月14日 尼崎城址 (2019-05-09)

2019年1月14日 尼崎城址

 

 今回の摂津のお城巡りのテーマは戦国時代の武将:荒木村重と高山右近です。
戦国時代、最も無様に生き残った武将:荒木村重。最もかっこよく生き残った武将:高山右近。

まずは、尼崎城です。2019年3月29日に模擬天守が完成です。ただ、村重の時代の尼崎古城は大物城と呼ばれ、江戸時代の尼崎城から東北の位置にあったようです。

 1577年、荒木村重の長男・荒木村次が尼崎(古)城主となり、「有岡城の戦い」の荒木方の要地のひとつになりました。来年の大河の主人公明智光秀の子供は三男四女説と六男七女(二人は養女)があるようですが、長女が村重の長男の荒木村次に嫁いでいます。三女は有名な細川ガラシャです。明智光秀の長女は村重謀反の時に離縁されて光秀の元に戻ったあと明智家家臣・明智秀光に嫁ぎ山崎の合戦に敗れた後、坂本城で自害したようです。これ確か小説で読んだ記憶があります。

荒木村重、村次親子は、尼崎城と花隈城を譲れば妻子を助けるという約束を取り付けた部下の説得を受け入れず、花隈城に移り抗戦を続け、最後は毛利を頼って逃亡しました。村重は、家臣と妻子の命を犠牲にして生き残ったという最も無様な武将として生き残りました。信長の死後、茶人として堺に戻り、秀吉のお伽衆になりました。

ところで、尼崎城は江戸時代、1617年戸田氏鉄が5万石で入封して築城したものです。戸田氏の後は青山氏四代、桜井松平氏七代の藩主が納めました。桜井松平家とは松平氏の庶流。十八松平のひとつで今の安城市の桜井周辺を領していました。そういえば城の近くに桜井神社がありましたが、いわれは桜井松平氏かもしれません。

 再建尼崎城は、ほぼ外観が完成していました。お城の天守は美しいと思います。特記すべきは「創業の地に恩返ししたい」と私財12億円を市に寄付された方がいたこと、市民の寄付2億円集まって平成最後のお城が築城されました。

 名古屋城天守の木造再建もそうですが、お城の再建にはいろいろな意見があります。肯定的な意見も多いですが、否定的な意見も無視できません。確かに実質的に意味のないお城に自治体から費用支出するより、福祉や子育てにその予算を使うべきだという意見が正しいと思います。その点、尼崎城はひとりの多額の寄付で再建したため、そういう議論をする必要なく市民のシンボルができたことは素晴らしいと思います。本当は、多額の税金を使っても後世の人たちに誇れるものが建設できればいいと思うのですが・・・