登城でござる
2018年2月22日 二俣城跡
二俣城跡は、思ったとおり人影のない寂しい城跡でした。
現在の行政区でいえば、浜松市天竜区二俣町であり、浜松市としては、この市街地から離れた辺境の城跡にどこまで歴史的価値を認めてお金を掛けるのが、市民の理解が得られるか悩ましい問題であるとお察しします。
武田信玄と徳川家康という戦国期のスターが存亡を掛けた二俣城の戦いが行われた地であり、天竜川と二俣川に挟まれた戦略上重要な地であることは、現地に行ってみて納得できました。
結局、二俣城は武田信玄に落とされ、三方ヶ原の大敗北につながるのですが、それでも生き残るのが徳川家康の真骨頂と言えるかも。たぶん、二俣城の戦い・三方ヶ原の戦いの後に何故?浜松城を攻め滅ぼさなかったかの答えは信玄しかわからないかもしれません。
歴史は歴史として、今回二俣城へ来るに当たってすごくお得な切符できました。「ふじのくに家康公きっぷ(西部)」です。新所原から掛川までのJR東海道線と天竜浜名湖鉄道と遠州鉄道が乗り放題のフリー切符です。名古屋からだと新幹線代も含めて7,500円でしたので、通常の料金と比較してたぶん2割以上の値引きです。しかもフリー切符ですから何回でも乗れます。この切符で改札を通るとちょっと嬉しかったです。
2018年2月22日 掛川城御殿 天守
掛川城は、新幹線から天守が見えるお城です。
いつでも、行けるお城のイメージがあり、初めて登城したのが2017年4月18日に一度登城しようとしましたが、すでに開館時間を過ぎており天守の中と掛川城御殿には入れませんでした。今回はそのリベンジです。平成6年4月に再建された日本で初めての木造復元天守ですが、幕末の1854年安政東海地震で倒壊しているので、モデルは山内一豊が掛川城のとおりに建てよと命じた高知城のようです。浜松城でも思ったことですが、石垣と建物が合っていないような気がするのは私だけ?
掛川城御殿は、幕末に再建された建物で国の重要文化財ですが、大名のすまいとすると少し規模が小さいと思ったのはやはり私だけ?
今回は、天守内部とそこからの景色と御殿が見られてよかったです。
いつでも来られると思っていると、ずっと来られないことはよくあることです。一期一会近くに行って機会が会ったら、是非行くべきと肝に銘じます。
2018年2月6日 名張藤堂家邸跡
私は相当な歴史好きだと思っていますが、この名張藤堂家邸跡に来るまで藤堂高虎の養子の高吉についてよく知りませんでした。
また、この藤堂高吉が丹羽長秀の三男で、まず羽柴秀長(のちの豊臣秀長・秀吉の弟)の養子になり、後継ぎになるはずだったこと。その後、丹羽長秀の利用価値が無くなると秀吉は秀保(豊臣秀次の弟)を秀長の後継ぎに指名したため、実子のなかった藤堂高虎が引き取って養子となったこと。また、その後藤堂高虎に実子が生まれ、藤堂家の後継者の座から降ろされ、以後は藤堂家の一門・家臣として仕えたこと。
何も知りませんでした。
今回、名張藤堂家邸跡に伺い、館長さんに丁寧に説明を受けました。
この歳になってもまだまだ知らないことがいっぱいあるということがわかりました。