2018年10月25日 二条城 (2019-03-23)

2018年10月25日 二条城

 

 二条城は城好き・歴史好きな人には見逃せないお城です。

京都は千年の都です。様々な歴史の舞台でしたが、江戸時代末期の中心はこの二条城だったかもしれません。

 この二条城から南へ足を延ばし、信長最後の地:本能寺跡にも寄ってみました。この地には現在京都市の公共建物が建っており、現在の本能寺は1582年本能寺の変で焼失後に、1592年に秀吉が元の地に再建することを許さず現在地に建立された歴史があります。特筆すべきことは、本能寺跡に歴女が来ていたということです。世の中に歴史好きな女の子がいることは聞いていましたが、本能寺跡まで来るのはよほどの歴史好きだと思います。

 二条城は、二の丸御殿の内部を公開しています。幕末の大政奉還を発表した歴史的な場所の「大広間」、素晴らしい障壁画が3000面以上あります。残念だったのは、室内の写真撮影が許されていなかったことです。昔はフラッシュにより建物が傷むと考えられていたために禁止されてそのままになっていると思いますが、今はスマホが主流です。名古屋城本丸御殿でも箱館奉行所でも室内の撮影が許されていました。技術は進歩しているのにお役所の考えは昔のままのようです。

 二条城二の丸御殿の感想は名古屋城本丸御殿との違いです。古い建物と新築の建物との差はありますが、それ以上に将軍の住まいとしての二条城二の丸御殿と迎賓館としての名古屋城本丸御殿と比較してしまいます。やはり将軍を迎えるための迎賓館としての名古屋城本丸御殿の豪華さがより強く感じたのは私だけではないと思いました。部屋の格式を観るとき私は特に天井を観ます。両方とも将軍の座られる場所は「折上二重格天井(おりあげにじゅうごうしてんじょう)」ですが、名古屋城本丸御殿の方が、より豪華に感じられました。でも、二条城には歴史が感じるという良さがあります。

 現在、京都市が二条城を整備中です。正面玄関である東側空間の再整備に取り組んでいます。名古屋城と違い戦災で焼けなかったのは大きな財産です。頑張ってこの財産を生かして後世に残してもらいたいと思います。

お城好きにとって、先の大戦で明治維新から70年以上維持してきた多くの大切な財産が焼失したのは非常に残念です。その点、二条城は焼失を免れて今も幕末の時の姿を今に伝えています。また、再建の仕方も天守閣を再建せず、江戸時代の姿を伝えるのも良いと思います。お城は戦の為に作ったものですが、私たちの先祖が誇りに思ってきたものでもあります。今後も各地で身の丈に合った継続可能な再建・整備をしていって欲しいと思います。