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2018年3月24日 勝幡城址
学生時代の同級生のスーパーカーでお城めぐりをしました。
テーマは信長です。また、お花見できる城を選んだのですが、お花見には5日程早かったようです。
勝幡城は、織田弾正忠家の本拠地だったところです。信長の祖父の信定が勝幡に城を築き、当時木曽川川筋の商港であった津島湊を押さえたことで、信長の天下取りに繋がったと言われますが、一緒に行った津島在住の同級生に言わせれば、津島商人が信長を援助したから天下を取れる武将に成れた。信長を育てたのは津島商人であるという言い方をしていました。
名鉄「勝幡」駅前には、信長の両親の信秀と土田御前に抱かれた幼い信長の銅像がありました。また、勝幡城の推定復元模型がありました。戦国前期の城の姿がよくわかる模型です。水郷の吉法師の絵は若いころの信長です。信長公記の記述を絵にしたものでしょう。
また、駅からしばらく行くと勝幡城址の石碑があり、織田信長がこの地で生まれたとの看板がありました。那古野城説もありますが、研究が進むと勝幡城説が有力となりました。
勝幡駅のある愛西市は、佐織町・佐屋町・立田村・八開村の2町2村が2005年4月に合併してできた人口6万人ぐらいの市です。津島市を取り囲むような形をしています。
勝幡城址の石碑があるところは、残念ながら稲沢市です。せっかく駅前に「織田信秀と土田御前に抱かれた幼少期の信長」銅像等を設置しながら、いまいち、信長誕生地として売り出せない市の姿があるのかなと思いました。
「日本の建築界は摩訶不思議」についての説明資料
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