2018年5月12日 五稜郭 箱館奉行所 (2018-05-24)

2018年5月12日五稜郭・箱館奉行所

2018年5月12日 五稜郭・箱館奉行所

 

 今回の二泊三日の北海道旅行のメインは、花の五稜郭でした。函館には、就職して1年目か、その翌年のお盆休みに友達と一緒に来たことがあります。今から40年ほど前の話です。そのころは、お金もなかったので、一番安いお盆の帰省夜行バスで青森まで来て、青函連絡船で函館まで来ました。確か、函館山に登った記憶があります。五稜郭には来なかった記憶があります。お城は好きでしたが、若いからいつでも来られると思って40年経ってしましました。

40年ぶりの函館は。観光都市になっていました。五稜郭へは、やっと行ける、しかも、北海道の桜の咲く季節で花の五稜郭が見えると思ってやってきましたが、五稜郭の桜は北海道で一般的なエゾヤマザクラでは無くソメイヨシノです。函館の例年の開花日は4月30日で、つぼみから満開まで一週間、満開から散るまで一週間ですから、5月12日だと例年でもやっと間に合うぐらいでした。今年は開花が4月20日ごろでしたの、花の五稜郭は残念ながら見られませんでした。

歴史好きな私ですが、五稜郭で箱館戦争のことを書くと、結構な文字数になるので止めます。あまり、幕末の戊辰戦争は好みではありません。日本の合戦はチェスと違い、将棋のように降伏した者に対して寛大で・味方にして持ち駒になるという約束事があります。薩長を中心とした新政府軍はその約束事を反故にして、会津藩に戦争を仕掛けます。仙台藩を中心とする奥羽越列藩同盟は、会津藩に同情して会津藩を守ろうとしました。薩長中心の新政府軍は、他藩の兵を使って攻め滅ぼします。それで、成立したのが明治政府です。官軍は、賊軍がいて初めて官軍になれるのですから、賊軍を作らねばならなかったからですね。

今回、気になって五稜郭を調べてみたら、実は五稜郭は日本にふたつ有って、もうひとつは龍岡五稜郭と云って長野県佐久市田口にあり、現在、佐久市立田口小学校になっています。できれば、生きているうちに一度行ってみたいと思います。そしてこの城を築城したのが、三河奥殿藩の(大給)松平乗謨(まつだいら のりかた:維新後は大給 恒・おぎゅう ゆずる)です。この人は、非常に開明的な人で、江戸幕府の若年寄・老中・陸軍奉行・陸軍総裁を歴任して、フランス式の軍政を導入し農民兵を基礎とした幕府軍を編成しています。ちなみに、勝海舟が、松平乗謨の陸軍総裁の後任です。また、龍岡五稜郭へ移転前の奥殿陣屋(愛知県岡崎市奥殿町雑谷下10)へも現存しているようですので近いので行ってみたいと思います。

箱館五稜郭から龍岡五稜郭へ、龍岡五稜郭から奥殿陣屋へ話が飛ぶ、否、拡がるから日本の歴史は面白い・興味はつきません。

また、箱館奉行所は、幕末の1864年に建てられ、3年後大政奉還により幕府崩壊、明治4年(1871年)に明治政府により取り壊されています。わずか、7年ほどしかたっていなかった建物を当時と同じ材料と・工法により復元・完成したのが2010年6月です。ということは、現在2018年ですから、幕末~明治時代に建っていた期間を抜いたのではないかと思います。建物は素晴らしい日本建築です。この五稜郭にわずか7年ほどしか建っていなかった箱館奉行所を再建して、函館観光の目玉にした地元に敬意を表します。

ただ、比べるべきではないかもしれませんが、この建物と名古屋城の本丸御殿を比べてみると、本丸御殿の豪華さが際立ちます。仕方ないですね。だって箱館は奉行所として建てられました。名古屋城本丸御殿は、将軍の娘・春姫を迎えるために建てられ、将軍が上洛するときに宿泊する迎賓館になりました。しかし、良いですね。箱館奉行所も!お金もかかって難しい仕事ですがどちらも素晴らしいです。

更に日本建築の再建を見たいと思います。名古屋城天守閣の木造再建!期待しています。江戸時代に建てられた名古屋城天守閣を再建してもらいたいと思います。