2019年3月30日 津城址 (2020-07-29)

2019年3月30日津城跡

  伊勢国の津は、安濃津(あのつ)と呼ばれた平安時代から伊勢国の中心地であり、津城は戦国時代初期から様々な歴史があることはこの場では無視して、江戸時代:慶長13(1608)年に伊予宇和島から移封になった藤堂高虎の話を述べたいと思います。

 主を7回も変えた猛将とも云われます。近江国出身ですから、まずは浅井長政に足軽として仕え、元亀元(1570)年の姉川の戦いに14歳で参戦して首級を取る武功を挙げ、天正元(1573)年に小谷城の戦いで浅井氏が滅びると、浅井氏の旧臣:阿閉貞征、次いで同じく磯野員昌の家臣として仕えた。やがて近江国を去り、信長の甥・織田信澄の家臣として仕えるも長続きしなかった。その後、流浪生活の後、天正4(1576)年21歳の時に羽柴秀吉の弟:秀長に300石で仕えました。後の天下人秀吉の弟:秀長に仕えたことが単なる長躯の猪武者から高虎を築城の名人と呼ばれるほどの武将に育てたものと思われます。天正19(1591)年35歳の時、秀長死去時には2万石の大名に出世していました。その後、秀長の甥:養子の豊臣秀保に仕え、文禄4(1595)年秀保が早世したため、出家して高野山に上るも、その将才を惜しんだ豊臣秀吉が生駒親正に説得させて召還したため還俗し、5万石加増され伊予国板島(現宇和島)7万石の大名になりました。

慶長の役 慶長3(1598)年には、水軍を率いて参加し、朝鮮水軍の武将:元均率いる水軍を壊滅し、南原城の戦いと明梁海戦にも参加し、帰国後に大洲城1万石を加増され豊臣政権では最終八万石になりました。

 ⑧最終的に徳川家の大名となり、主君を七回変えた武士とされ、ある意味蔑みに言われることもあるようですが、徳川家康との相性は抜群だったのでしょう。

 慶長3(1598)年8月秀吉が死去すると、豊臣家臣団は武断派と文治派に分裂、高虎は武断派というより、徳川家康派に与します。会津征伐に従軍し、その後岐阜城を攻略、9月15日の関ケ原の戦いでは大谷吉継隊と戦い、更に脇坂安治、小川祐忠、朽木元網、赤座直保らに対して、東軍への寝返りの調略を行い、東軍の勝利に貢献しました。

戦後、これらの軍功により宇和島城8万石安堵の他に新たに今治城12万石を加増され20万石の大名になりました。江戸時代になると、江戸城改築に功を挙げ、慶長13   (1608)年に伊勢安濃郡と一志郡内10万石及び伊賀国内10万石と四国今治城周辺の越智郡2万石を飛地として22万石に加増移封され、津藩初代藩主となりました。よほど、家康と相性が良かったのでしょう。徳川家の外様大名でありながら譜代大名格(別格譜代)として重用されました。

慶長19(1614)年大阪冬の陣、慶長20(1615)年大坂夏の陣に徳川方として参戦、長曾我部盛親軍と八尾の戦いで対峙、激戦となり600人余りの死者を出しています。戦後、その功績により伊賀国内と伊勢鈴鹿郡・安芸郡・三重郡・一志郡内で5万石加増され、27万石になっています。家康死去の後、元和3(1617)年、新たに伊勢度会郡田丸城5万石が加増され、弟正高が下総国で拝領していた3000石を津藩領に編入し、石高 計32万3000石の大大名となりました。田丸5万石は元和5(1619)年に和歌山城に徳川頼宜が移封されると紀州藩領となり、藤堂家には替地として大和国と山城国に5万石が与えられました。

人にはその人なりの歴史があります。今は便利な時代です。藤堂高虎を知りたければ、「ウィキペディア」で調べることができます。その人なりを思うとき、どういう人生を送ってきたかを長々と綴らないと中々表現することができません。

よく、戦国時代は下克上で貧農出身者も戦で手柄さえ立てれば一国一城の主になれると言われます。多くの民はそれを信じて一国一城の主を夢見たかもしれません。しかし、それを実現したのは太閤秀吉を初め僅かな人しかいません。その僅かな人として夢を体現したのが藤堂高虎でしょう。「身長は6尺2寸(約190センチメートル)を誇る大男だったと言われている。高虎の身体は弾傷や槍傷で隙間なく、右手の薬指と小指はちぎれ、左手の中指も短く爪は無かった。左足の親指も爪が無く、満身創痍の身体であり、75歳で高虎が死去した際に若い近習が遺骸を清めて驚いたと言われている。」14歳から60年間戦って、得たものが32万3000石です。割に合うかどうかより、それしか生きられなかったのでしょう。

さて、藤堂高虎はNHK大河ドラマの主役が張れるでしょうか?

結構、面白い物語になると思うのですが、信長を初め、秀吉、家康、光秀、浅井長政、織田信澄、豊臣秀長、丹羽長秀、三男:藤堂高吉等々、戦国の殆どの有名人を登場させることができます。戦いについては、姉川の戦いから秀吉の天下人に駆け上がる戦い、朝鮮の役、関ケ原から大坂夏の陣まで、日本の戦国期の戦いを全てに関りがあるので戦闘シーンも豊富です。

良いと思うのですが、

ただ、やはり地味と言えば地味で、華が無いと言われれば華が無いので大河ドラマはちょっと無理か!