2021年3月18日「映画えんとつ町のプペル」 (2021-03-19)

 

2021年3月18日「映画えんとつ町のプペル」

 

 確か結構前から上映されているので、観に行きたいと思いつつ、いけなかったので急に思い立っていきました。観客は5名で私以外は全て女性でした。コロナの心配は全く無いと言っていい環境でした。映画館でコロナってなかなか想像できないのですが、少しでも人と接触する機会があればリスクはゼロではないのでしょう。しかし、世の中ゼロリスクはあり得ないのですが、もし、罹ってしまった場合にそんなところに行ったからと言われないように生きなければいけない事態になったと自覚しなければいけないと言う事なのでしょう。それって、他人は全てコロナウイルスを持っていると思えっていうこと?違うような気もするのですが・・・。

 本題に戻します。

「えんとつ町」は夢を持てば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会の縮図で、『えんとつ町のプペル』は僕自身の物語でもあります。

と原作者のキングコング西野亮廣氏は述べていますが、彼は若くして売れてしまったが為にそう感じるのでしょう。

 人は、何を持って、「幸せ」を感じるか?お金いっぱいあっても幸せでは無い人も一杯いるし、その逆の人も一杯いるのでしょう。

えんとつ町は、えんとつから出る煙で、空の無い町の物語です。

260年前のご先祖が、より良い世界を作るために外界と断絶した町を作ったようです。理想のより良い世界も、秩序を維持するためには、暴力による強制力が必要という設定でした。

 今の渋沢栄一の大河ドラマを観ると、武士である代官の横暴に腹が立つし、BSでやっている朝ドラの「澪つくし」を観れば軍部の横暴が許せない。と腹を立てているのは私だけでしょうか?

今の日本には、横暴なのはやくざ以外にはいないかも知れないけど、外国を見れば、力による支配は人間社会には、どうしようもないことかも知れないと思った映画でした。

中国共産党も、たぶんできたときは中国の人々のために出来たのでしょう。それが今は、香港・ウィグルで暴力により弾圧を行い、人々の幸せを奪うなんて思ってみなかったことでしょう。これも体制を維持するためには仕方ないことなのでしょうか?また、ミャンマーの軍事政権を支持することも、中国の民の幸せのために必要なことなのでしょうか。

と思った映画でした。