2019年3月30日 津偕楽園 (2021-07-09)

2019年3月30日 津偕楽園

 

  津偕楽園は、昔は「御山荘」(ごさんそう)、または「御山荘山」といい、津藩第11代藩主藤堂高猷公(とうどうたかゆきこう)が 安政年間(1854~60)に別荘を設けたのが始まり。偕楽園の名は高猷公の俳号から だそうです。

  津藩は、伊勢安濃郡安濃津(現在の三重県津市)に置かれた藩です。安濃津藩(あのつはん)と呼ばれることもあり、藩庁は安濃津城(津城)。石高は伊勢・伊賀2国を合わせた22万石(大坂の陣後、32万3000石に加増で大和国などにも飛び地領が存在)。

 県庁所在地は、江戸時代の藩庁が置かれた地が多いようです。そこには大名の城があり、邸宅があり、また、この津偕楽園のような別荘も設けられました。

 人の集まる所は、富が集まるところと富を拠出するところの2つの地域があります。富を拠出する地域をたくさんあれば、富が集まる地域は豊かになり、豊かになればこその城であり、藩主の御殿であり、別荘ができます。そういった点で、伊勢の国、安濃津は豊かな所だったのでしょう。

 そして、その富の集積する豊かな地が、県庁になり、津偕楽園のような庭園を現在まで維持することができたということでしょう。昔からの藩庁が県庁になった所は津偕楽園のような庭園を維持できた都市は多いです。

これは不届きな考え方かもしれませんが、今度生まれ変わるなら、どこかの県庁所在地の都市にうまれたいなぁ。