2019年8月11日 上山城(かみのやまじょう) (2022-08-10)

2019年8月11日 上山城(かみのやまじょう)

 

かつて「羽州の名城」と称えられた上山城。幕命により取り壊されてから290年ぶりに郷土資料館としてよみがえりました。
天守閣からは、蔵王連峰や温泉街の風情を残す市街地の家並みを楽しむことができます。

上山城郷土史料館の案内文です。

 

戦国期は、伊達氏と最上氏との係争の地。

江戸時代になると上山藩が出来て、江戸初期に最上氏が改易された後は、没落した諸大名が3万石から4万石で入部し、城主を務める氏族がめまぐるしく変わるが、上山藩自体は幕末まで存続した。本丸を囲んで一段低く周囲に二の丸があり、外濠が取り巻いていた。藤井氏時代には天守はなく、二の丸に居館が設けられていた。

金森家が転封された際に一度破却されたが、破却前は本丸に三重の天守や各所に櫓門がある近世城郭であり、月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れ渡っていた。藤井松平家が封じられた際に上山城は再興されたが、二の丸に居館を設けた程度の城構えであり明治を迎えた。

城跡は月岡公園および月岡神社境内となり、1957年(昭和32年)4月20に市の史跡に指定された。また、1982年に二の丸跡に3層の模擬天守が建立された。模擬天守の内部は、郷土歴史資料館として利用されており、季節によって、雛人形展や鎧などの収蔵品展、刀剣展といった催しが行われている。

再建当時、実際には天守の無かった城を天守付きで再現することについて多くの論議を呼んだ。 (ウィキペディア上山城より引用)

上山城は、模擬天守です。1982年造られた 望楼型3層5階、鉄筋コンクリート造模擬。江戸時代の資料があるようです。(出羽国之内上山絵図 – 正保元年(1644年)に幕府提出の「正保城絵図」。複写が資料館にて不定期展示。)

出羽国之内上山絵図 – 「正保城絵図」には、天守がありません。歴史的に無かった天守を造ったのですね。お城好きにとっては残念ですが、致し方ありません。

建物というのはそこに建っていると存在感があるのですが、撤去してしまうと、あれあそこにどんな建物があったかなぁ?と思い出せなくなるものです。天守は無かったですが、上山城の場合、お城はここにちゃんとありましたので、その記念として天守型の郷土史料館を造ったということで納得しましょう。どうか、お城好きのみなさんも、模擬天守には暖かい目で見ることにしましょう。