2018年4月2日 東条城址
西尾城が昔、西条城であったことは調べて分かりました。
西条城があるので、やはり東条城もありました。現在は西尾市ですが、旧吉良町にあります。ネットで調べると、天守のお城のイメージでは無い砦の写真を見たので是非行きたくなりました。
現地の東条城の歴史によると、足利義氏の三男義継が吉良壮東条を譲られ、東条吉良氏の祖になったとの記述がありました。足利義氏にしてみれば、まさか応仁の乱のときに子孫の十代義藤が、西条吉良氏と争い、その後も、戦国時代を通じて同族の争いが続くとは夢にも思っていなかったことと思います。
結局、東条吉良氏は滅びてしまい、家康が十三代義安の子孫を旗本に取り立てて、吉良家を再興。これが江戸時代の高家吉良家の始まりになると東条城の歴史に記述されていました。
現地は、見張り台が遠くから見えましたのですぐにわかりましたが、駐車場がどこにあるかわかりませんでした。周りを車で右往左往しました。小さな石碑で駐車場はこちらとなっていましたので、それに従って行きましたが、駐車場の正確な場所がわかりませんでしたので、お寺の前に駐車しました。
そこから東条城は、少し登ります。桜の季節でしたので、隠れた花見の名所だと思いました。春休みの高校生と思われる女学生が花見をしていました。
残念だったのは、見張り台に登れないように黄色いバリケードが置いてありました。また、周囲の柵がないところにも黄色いバリケードがガードしていました。西尾観光協会のネーム入りバリケードでしたが、西尾観光協会の方もう少し考えてもらえないでしょうか?
しかし、柵と見張り台の城址は、初めてでしたので感激しました。歴史を考えると墨俣城なんかは、この形態の城だったようです。
墨俣城は、現在の行政区は大垣市ですが、旧墨俣町は天守を建てました。
東条城は、現在の行政区は西尾市ですが、旧吉良町はこのような砦型のお城にしました。お金の問題かな?でも、この砦型の城址は好きです。願わくは、子どもたちが見張り台に登れるようにしてあげてください。西尾市は、この施設にあまりお金をかけたくないかもしれませんが・・・。
最後に、西尾観光協会様、しつこいようですが黄色のバリケードで危険表示はやめてください。