2018年4月2日-3 安祥城址 (2018-04-16)

2018年4月2日安祥城址

2018年4月2日安祥城址

 

安祥城址の周りは、安城市歴史博物館となっていますが、安祥城があった場所は、現在、大乗寺というお寺となっており、お寺の前の石碑だけがここに、安祥城があったことを記しています。

この地が、歴史に記憶されるのは、信長の庶兄・織田信広が守るこの城を、大原雪斎率いる2万の大軍で攻め、城代の信広を捕縛し、織田家に奪われた竹千代(徳川家康の幼名)と人質交換した結果、竹千代は今川義元の人質になり、駿府で育てられる事になりました。

安祥城は織田家と松平・今川家と何度も合戦になっているようで、この第五(4)次安城合戦の時には、信長・信広の父・織田信秀は病に伏せていて救援することができなかったようです。この地を今川義元が織田から奪還したことにより、今川家の三河支配は確実なものとなり、次は尾張へ、およそ10年後の桶狭間の戦いに歴史は繋がっていきます。

桶狭間の戦い後は、織田・徳川間で清洲同盟が結ばれ、この地は前線としての価値が薄れ2年後に廃城されました。

歴史にifもしもは禁物ですが、後の天下人・徳川家康の生涯に影響を与えた地であることは間違いないでしょう。